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創世記の真実(禁断の果実の正体)

創世記の「エデンの園」と般若心経の「涅槃(ねはん)」とは同質のものである。
アダムとイブの誕生は、神が塵(ちり)から創ったと言われています。
金剛般若経の中にも仏陀(ブッダ)は人間を塵で創ると言う文章があるが、それは
万物を作り上げる原子(アトム)を指しています。したがってアダムもイブも原子で
構成された立派な我々と同じ人間であった。

当初アダムとイブの心は「いま誕生したばかりの赤子」の境地に立っていた。一切の
迷いや悩み、欲望と言った不純物なるものは無く、その無欲の心は一糸まとわぬ
「丸裸」の状態にありました。要するに「お互いの心は、一点の汚れや隠し事の無い
無垢(むく)の心」であった。その心に言葉は必要なかった。神の言葉(テレパシー)
の状態にあったからだ。

ですから、神の国(エデンの園)に住んでいたアダムとイブの意志の疎通は神の言葉
(テレパシー)であり、言葉の存在は皆無であった。だから不安や恐怖、病気、老い、
死と言った固定化された言葉の概念は一切なかったのです。アダムとイブは心の澄み
渡った「真の自我」の境地で暮らしていました。(ブッダも人間の完成はテレパシーの
完成と言っている)

やがてイブは神から「善悪の知識の木」の果実を決して食べてはいけないと、戒めが与え
られる。しかし「その木の果実(言葉)は優美に彩られ、甘く囁く香りに誘われ、食べたい
欲望が湧き起こります。」イブは自分の心の誘惑(サタンや蛇に例えられる)に負け、禁断
の果実(言葉)を口に入れてしまったのです。

禁断の果実(言葉)を食べた後、イブの口から吐き出されたものは、「人を非難する汚れた
言葉」であった。イブは突如、身に降りかかった驚きと羞恥心にかられ、おもわず近くにあった
イチジクの葉(嘘うそ)で自分を隠したのです。それからと言うもの人間は常に嘘を身にまとい
善悪の言葉と共に生きて行かねばならなくなったのです。

悲しいかな、その末裔である我々はエゴで着飾り、常に自分をイチジクの葉で隠そうと言葉の
奴隷と化してしまったのです。人間最大の過ちは「神の言葉(テレパシー)」を捨てたことにある
のです。限定された言葉のみに頼りきっている事で、醜い争いに終止符を打てないのです。
実は、この神の言葉(テレパシー)も「色受想行識(五蘊ごうん)」そのものである。ですから
「神の言葉」をもう一度取り戻すために、人間に捧げられたチャンスである。これから宇宙へ人類が
進出するためのステップに、テレパシーは必須アイテムとなるのです。


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