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今の宗教や教育では人類を救えない。

人々を救うはずの数多くの「宗教」がありながら一向に悲惨な戦争は無くならない。
人々が成長して行くはずの「教育」は大勢のエリートたちを輩出しているが、欲望と
傲慢と偏見をもたらし、世界は荒む一方である。こんな不条理を不思議に思わない
社会は魔訶不思議な世界である。

各宗教は教義をめぐって対立を繰り返し、また教育は成果ばかりを重視するあまり
科学のみが異常に発達し偏狭である。昔から宗教と教育は人々の日常生活に密着し、
それらの教えを「心の糧」として社会生活が営まれて来ました。ある種「心を固定
化した呪縛の世界」と言えるのかも知れません。人々の心には自由は無く、形骸化し
た古い習慣的想念に囚われ、今なお中世時代を生きています。

そのため人々の心は不安定でもろく、先の見えない自分のおぼろげな未来に対し、
不安や恐怖を覚えるのです。それらから逃れたい一心で、人々は「お金や物」に縋
(すが)るのです。それが欲望の始まりである。欲望は不安や恐怖から出生している
からです。

だから人々は「不安と恐怖」から逃れようと、心を欲望で満たし「競争社会」を築き、
また相手に勝つための安心保険として「学歴社会」が生まれたのです。
これは五蘊(ごうん)をまったく無視した「頭脳競争」の始まりです。ですから街の
書店には頭脳と人工知能(AI)に関する本ばかりで、まるで神様でも祀(まつ)る
ような、お祭り騒ぎである。

もし頭脳が本当に神のように偉大なものであるのなら、何故「仏陀(ブッダ)やイエス」
は大衆の前で「人間の頭脳こそは偉大なり、頭脳によって人々の心は救われる」と
声高に説法しなかったのでしょうか。それは「心身の機能の正しい使い方ではない事
を理解していた」からです。また「仏陀やイエスを神格化したのは、人々の理解不足の
身勝手な解釈であり、そこから多くの宗教が誕生したのだ」と推測されます。

とにかく仏陀は、五蘊(ごうん)の働きを良く理解して「心を調整」する事で、不安や恐怖
は消え、謎や疑問は解かれ「人間は完成」すると伝えています。
またイエスも同じ「人間の完成」を説いたのです。長い時代に渡り、人々の探し求めて
いたものが、実はこの五蘊(ごうん)であったのです。五蘊には国境も宗教も教育も争い
もありません。それはただ一つ人類共通の「生命の法則」に過ぎないからです。

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