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安楽死に異議あり

今社会では安楽死と言う人生の幕の閉じ方が話題になっております。世界でもそ
の傾向が強く、実行に移されている国も少なからず存在します。何故か「人間の
命も心も」段々と軽く扱われているように感じます。人間の「逝くとき、来ると
き」は、それなりの準備期間が必要です。去り際に対し無頓着な人々が多いから、
安楽死などと言う安易な発想が浮かぶのでしょう。死とは意識の消滅ではなく「意
識の引継ぎ(記憶の伝達)」である。

素直に死を受け入れ、死の直前まで懸命に生きる努力をしないで、生をいとも簡
単に断ち切ることは自殺と同じである。安楽死とは「自分の生と真摯に向き合わ
ず、医療と言う後ろ盾による体裁の良い自殺」である。この世の中には「生きた
くても生きられない」不治の病と闘い、生を手放すまいと懸命に生きる人々に対
する冒とくである。例え「どんなに立派な人生を歩んで来たとしても、生を軽ん
じ放棄することは、自分や先祖に対する卑劣な裏切り行為と言える」でしょう。

次の生へと意識を引き継ぐには、胎児側の身体の準備も必要です。生と死とが、
お互いの絶頂期に達した瞬間に、「逝く者」と「引き継ぐ母子」との間に、心の
共鳴現象が起こります。もし赤ちゃん側に、まだ引継ぐ準備が出来ていなけれ
ば、死を早めた結果、「意識(魂)」は収まる場所が無く、数十秒で放電現象
を起こし消滅してしまうでしょう。今まで、せっかく長き歴史に渡り築き上げ
て来た、貴重な一人の人生が一瞬で水の泡である。

人生末期の悩みや、想像を絶する痛みや苦しみ寂しさも、向こう側(いずれ自
分となる赤子)に到達するまでの、その間は自分を慈しむべき貴重な体験であ
る。その体験は理解であり、その理解は永遠の知識となるのです。それら体験
を乗り越えてこそ、「最後まで全力を尽くし、自分を見失わず生きた」と言う
達成感や充実感を得て「新たな自分へと引き継ぐ」のである。
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